2012年11月3日、台北郊外の淡水で、「日台若者交流会」設立大会が開催された。代表は安西直紀さん(※)、名誉会長が台湾の李登輝元総統だ。日台の若者の交流を目的とした任意団体だが、淡水での開催、李登輝元総統が名誉会長である点が異色だ。経緯と活動内容を安西代表に聞いた。
李登輝元総統との出会い
2008年の8月3日、4日と台湾最高峰の「玉山」登山を仲間と敢行した安西さんは、さらに“高い山”を登ってみたいと李登輝元総統に手紙をしたためた。「前からお目にかかってみたかったんです。そうしますと手紙に対して事務所から連絡があり、会おうと言ってくださった。それで台北の自宅を訪問させていただきました」(安西さん:以下略)8月5日のことだった。
以降、安西さんと李登輝元総統との交流が続く。2009年に李登輝元総統が来日し、日比谷公会堂で講演会を開催した際は、前夜祭でスピーチを行った。その後、若者を連れて李登輝元総統に会いに台北に出かけた。震災後1年を経過した今年の4月、台北で5回目の交流を果たした安西さんは、李登輝元総統に東日本大震災に際して台湾より200億円を超える義捐金を贈られたことについて、感謝の気持ちを次のように伝えた。
「震災は若者に衝撃を与えました。日本人は原発のみならず文明社会が曲がり角に来てしまったことを強烈に突きつけられました。震災は風化しつつありますが、自分は忘れ去ることはできず、一生背負う命題ではないかと考えます。日本の若者は、200億円を超える台湾の援助に台湾への見方を変えたはず。私はその気持ち、恩義を台湾にお返ししたいのです」
対して李登輝元総統から“驚くべき”提案がなされたという。内容は「日本と台湾の交流会をやったらどうか。私が名誉会長をやるから君は代表をやればいい」というものだった。安西さんの答えは「イエス」。科学の発達や経済の繁栄の替りに失ってしまった“日本人らしさ”を取り戻すためには、台湾(アジア)の人々から学ぶものは大きいという考えからだ。この時、約束したことは2つ。1つは文化交流をすること、2つ目は半年に1度ぐらいのペースで交互(日本と台湾)に大会(交流会)を開くこと、だった。
李登輝元総統の事務所で設立大会
安西さんは第1回目の大会を台北で行うこととし、準備を開始。若者による訪台団を結成すべく、呼びかけを行うとともに面接などを通じて33名に絞った。「平均25歳、下は18歳、上は82歳です(笑)。日本と台湾の間を良くしたい、強くしたいという気持ちがあればウエルカムだよという思い」
11月3日午後、台北郊外にある淡水の李登輝元総統の事務所に訪台団が集まった。李登輝元総統の歓迎を受けて、大会は90分の予定が2時間の設立イベントとなった。「本当に熱意をもってしゃべってくださって。李登輝元総統からは毎回エネルギーをもらいます。修羅場をくぐられてきた方独特のオーラには、若手メンバーも同じ思いを持ちました。3日の夜は台北市内で台湾の若者との文字通りの交流会に臨みました。日本人50名、台湾人50名、合計100名の盛大な会となりました」
来年の5月は日本で交流会開催へ
大成功のうちに終了した「日台若者交流会」。安西さんは、来年の5月に第2回目の大会を東京で開催する予定だ。「今、3つのことを考えています。1つは、組織の充実です。一般社団法人化に向けて準備しています。2つ目は、出版です。総統のお話を含めて私が伝えたいメッセージを本にして発信することを決めました。日本の若者はもっと行動して挑戦すべきだと。スローガンは『超越国境』。そして3つ目は、5月に大会を開催すること」
現在、「日台若者交流会」は、来年5月の開催に向けて、出版のためのミーティングを重ねるなど、準備を急いでいる(※)。
※安西直紀(あんざい・なおき)1980年生まれ。東京都出身。慶応大学中退。世界50カ国(欧米・東南アジア・中東ほか)を旅した。2004年にはイラク戦争最中にイラクを訪問。報道と現実のイラク市民の表情の違いを知り、「現場に行き、実際を目にして感じたままに突き進むのが人生」と考える。この総括は「世界を学校と見立てて取得してきた単位」のひとつ、だという。現在、フリーコンサルタント、イベントコーディネーター。日台若者交流会代表として活動するほか、ビヨンドXプロジェクト事業(鴇田くに奨学基金が行うプロジェクト:弁護士/前衆議院議員早川忠孝代表)の事務局長も兼務。
※日台若者交流会では設立記念に伴う、出版計画に対しての賛助金を募集している。